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2025/07/11 16:26


●タックさんと伸二さんの気持ちの良いコラボ

ジャンジ:伸二さんはなんで子どもと関わるようになったんですか?

伸  二:お仕事です。

ジャンジ:ああ、お仕事として。

伸  二:先ほどのタックと逆なんです。子どもは持てないんだって覚悟して、じゃあ子どものそばにいる仕事に就こうって考えましたね。そしたら子どもに関わり続けられるなぁと。もう一方で、「アーティストになりたい」「美大に行きたい」という気持ちもあったので、どっちを取ろうかなと迷った時に、たまたま実家が貧乏だったんです。 「とても美大なんかに行かせるお金はない」「地に足のついた仕事を選んでくれ」と言われたんです。まだ、35 年前は、都道府県や国が無料で保育士の資格を取らせてくれる学校があったので、そこに行ってみようと。まずそこに行って、まず保育士になって、10 年経ってやっぱりアーティスト活動もしてみたいな〜って思って多摩美術大学に入る。多摩美術大学に入って一番良かったな〜と思ったのは、タックと出会えたこと、そして共通点が見つかったことが良かったなぁとおもいました。

ジャンジ:あら、素敵なお話。まぁ、そうですか。

『ダイアウルフとタイコたたき』は、愛と勇気と命の話で、ユーモアがある。絵がタックさん、文章が伸二さんの素晴らしいコラボです。子どもを対象にしていないのかもしれないけれど、 子どもに媚びない、生きる根本的なことを扱っている。私の大好きな狼が出てきて。登場人物ふたりの友情が、本当にいい話だなと思った。

伸  二:ありがとうございます。

ジャンジ:若い子たちはどういう感想を持つのかな。中学生ぐらいの子たちと一緒に話し合ったらどういうことを言うのかなって、想像したりしました。

伸  二:タックが最初に作った芝居『ちがうタイコ』には、もともと詩というか有名な言葉があるんです。別のトークイベントで、それを元に芝居を作っているって話した時に、サウザンブックスさんが興味を持って「絵本を作りませんか」って言ってくれたのが、『ダイアウルフとタイコたたき』を作るきっかけになったんです。この「ちがうタイコ」っていう言葉をご説明お願いしてもいいですか。

タ ッ ク:えっと、僕が 17 歳の時には、日本にはなんにも、本もない状況だった。ある時に本屋さんにいったら「ホモの大爆発」みたいなタイトルの英語の本を見つけたんです。あれ、「ホモ」って書いてある……と買ってみて、読んでみたら、アメリカにホモの愛好団体みたいなものがいっぱいあると書いてある。それが、巻末にリストアップされていたの。僕は、そこにアクセスしたら、男の人の裸が載っている本が買えるかなと思って、手紙を書いたの。半年経ったら1冊の本が送られてきて。その本が、『Drum』っていうタイトルの ZINE だったんだけど、表紙に書いてあったのが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉だった。当時のアメリカでもちょっと変わった人で、一人暮らしが好きで、森の中に入ってずっと一人で暮らしたっていうことを 『ウォールデン 森の生活』って本を書いた人なんだけど、彼の書いた詩の一節が『Drum』の表紙に書いてあったのね。ちょっと読みますね。

 

ちがうタイコ「みんなと足なみがそろわないのは、きっと、かれがちがうタイコのビートを聞いているからだ。かれにはその音楽に合わせて進ませればいいのだ。それがどんなリズムで、どんなに遠くから聞こえるとしても。」

 

要するに、ゲイっていうのは人と違っているけれど、君の聞いているリズムに合わせて生きていればいいんだよってこと。それが書いてあった。 17 歳の僕にはガーン!と入ってきて、今でもそれが続いている。

芝居は、 50 代のゲイ2人の人間の話を書いたんだけど、その冒頭に、この言葉を入れたいなって思ったの。別にタイコの芝居じゃないけれど、なんいかこう「人と違った人もこうやって生活しているんだよ」っていうのをドラマの中で書きたいと思った。その芝居には、この言葉がとっても大事だったの。ぐるーっとまわって、『ダイアウルフとタイコたたき』の話が生まれる時に、彼が、この言葉を大事にしてくれて、巻頭において、それとどこかで関わるんじゃないかって感じるストーリーを書き上げたのです。

ジャンジ:なるほど、なるほど。『ダイアウルフとタイコたたき』は文章が先に生まれて、それからタックさんがビジュアルと作っていったんですか?

タ ッ ク:そうです。僕、絵本って形式としてすごく好きなんだけれど、自分が子ども向けのことを描けるとは思ったこともない。子ども向けの絵は描けない、描けないって言ってたら、彼に「タックが書きやすそうな絵がずらっと並べられるようにストーリーを作ったから、好きなことを描けばいいんだ」って言われて、できあがったの。だからあんまり絵がストーリーの説明をしているわけじゃないんだよね。いつも僕が作っている作品みたいな雰囲気の絵で、ちょっとはストーリーに触れているかなていうような感じ。彼が書いたストーリーを世の中に出すっていうことに、関われて良かったかな。やっと気持ちの良いコラボができたっていう感じ。

ジャンジ:おー。

伸  二:よかったです。

ジャンジ:タックさんの作品って細やかに紙面の端から端までいろんなものが入っていて、すごく楽しいんですよね。

 

 

●僕が僕として救われるために

ジャンジ:タックさんは、先ほどのヘンリー・デイヴィッド・ソローさんの言葉を支えにしてきたんですね。

タ ッ ク:僕ってね、言葉人間なんですよ。言葉っていうものをある意味ではすごく大事にしているけど、縛られちゃうタイプなの。「あなたは、あなたのままじゃダメだ」っていう世の中の雰囲気に完全に縛られてた時に、ゲイリブで「あなたは、あなたのままでいいんだよ」って言葉をもらった。それはもう卵から生まれた時にはじめて見たたものを親だと思ってついて行くみたいに、「はっ!僕はこのままでいいんだ!」と、ゲイリブを親だと思ってずっとついてきた。ゲイリブに救われたし、ゲイリブは金科玉条で何よりも大事だった。だから、ぐるっと回って、今ならね、「ゲイ」って言葉にちょっと縛られたかなって思うところもある。ゲイリブの「ゲイ」っていうのは「男で男が好きだ」っていうバイナリーな言葉。ゲイの僕は「男でなければならない」っていうのが逆に入っちゃった。僕も自分のこと男だと一所懸命思おうとして、幼い時ものすごく女の子ぽくって、いつも揶揄されたり、いじめられそうになったりしてた、そんな自分の中の女性性を恥じていた。最近、僕はね「僕ってノンバイナリーなんじゃないかな」って思うようになって。75 歳ぐらいの時に、トランスの人たちが「男にもいろいろ多様性があるんだ」って自分のことを語る言葉を聞くことによって、僕は男でもあるけど女でもあるぞって思った。そしたらちょっとホッと力が抜けて、ああ腑に落ちたって感じた。こんなことが起こるんだな〜。言葉からまた自由になれた〜。これこそがリブなんじゃないかな〜。ゲイとして救われることばっかり考えてきたけれど、僕が僕として救われるっていうところが大事なこと。個人のリブなんだな〜。だから、僕は今自分のことノンバイナリーだって思うようになったので、お世話になったゲイリブのゲイって言葉にも懐疑的な感じを最近持つようになった。

ジャンジ:75 歳でノンバイナリーって言葉に出会って、自分のことに気づいたんですね。

タ ッ ク:気づいて良かったな〜と思う。最初に 17 歳で「ゲイ」ていう言葉を知ったからここまでやってこれたんだけど、時代がどんどん進んでいくと、概念がちょっと時代に合わなくなってきた時に「ノンバイナリー 」 という言葉に出会えた。僕はまたこの言葉に乗っかって救われたぞって感じ。ずっと一緒に生きてきたことの恩義は忘れないけれど、今の僕にはこちらのほうが必要なんだな〜。そうするとね、世の中の見え方が随分変わってきたの。言いたいことごまんとあるんだけど、今日はこのへんで。

ジャンジ:進行形のタックさんって素敵ですよね。

タ ッ ク:おもしろいでしょ。まだ先もなんかあるかな〜。

ジャンジ:私は、2001 年に上戸彩ちゃんが性同一性障害の役を演じた『3 年 B組金八先生』が放送された時に妹から電話がかかってきて、「今まで気がつかなくて、本当にごめんね」って言われたんです。その時ちょっと嬉しかったんですけど、でももうダンスに出会っていて。体を変えるとか手術をするとかは違うってもうわかってた。でも「性同一性障害※」 っていう言葉に出会って、それに気づいてくれる人がいて、言葉があるからそれは違うって思えた。それでも、 性同一性障害とは違うから、 「自分は何者でもない」「結局、 自分と同じ人はいないんだ」って、ずっと思っていて。2015 年ぐらいに、トランスジェンダーの大きな傘の中に、ノンバイナリーとか、どちらでもないとか、どちらでもあるとか、いろいろな人が全部含まれるんだよって、 聞いた時に、「じゃあ、私はここには入るんだ!」ってやっぱホッとする部分もあった。でもそれが全てじゃないよ。言葉とかラベルがあることで安心もできるけど、それとは違う自分っていうものにも気づける、というか。

※現在「性同一性障害」は精神疾患ではなく「性別不合」と称する。

 

 

●新しい言葉が出てきたのは、それを必要とする人が声を上げてきたから

伸  二:ある種、都合のいい言葉だと思うんですね。その時その時に、自由な感じで、ゲイって言ってみたりノンバイナリーって言ってみたりとか。 僕は 「都合が良くて何が悪い!」 「都合が良くていいじゃないか。その人の都合なんだから」そういうふうに思っていた。そしたらタックが、「都合がいいんじゃなくて、具合がいいんだ!」と。ああ、 「具合がいい」ってなんていい言葉だろうって思ったのね。

ジャンジ:うん、うん。

伸  二:ある映画をみていたら、ジョークなんですけど「うちのクラスなんて半分がノンバイナリーよ」ってセリフがあって。 子どもたちがノンバイナリー って名乗ることで、あれもできるしこれもできるし、都合がいいな、具合がいいな、縛られないな〜ってことだったら確かに、クラスの半分ノンバイナリーになるかもしれない。その先にあるのは、ノンバイナリー っていうのもだんだん時代にフィットしなくなったら、また新しい言葉が生まれるとか、具合がいいものがいろんなものが出てくるといいな〜と思う。

僕が演劇を始めるきっかけになったのが野田秀樹さんのお芝居を観たからなんですが、その野田秀樹さんがお話ししていたんですが、北陸のほうに「ごぼる」っていう方言があるそうなんです。溝の上に雪が積もって、下にある泥とかが雪で見えなくなって、その上を歩いた時にズボッってなること「ごぼる」っていうらしいんです。やっぱり東京だと「ごぼる」ってそんなに経験がないから、「今日溝の上に雪が積もってわかんなくてズボってなって、こんなに汚れちゃったよ〜」って言うんだけど、北陸にはすごく「ごぼる」が必要。言葉が必要で生まれてくるんだって野田さんが語ってて、すごくおもしろいなと思った。

ジャンジ:そうですね。

伸  二:ノンバイナリーとか、いろんな言葉が出てきたのは、それを必要とする人が声を上げてきたから。必要な状況になって言葉が生まれてるんだと思う。我々もまた新しい言葉を生み出せばいいし、もしかしたら、何かに「non-」がつく「ノンバイナリー 」なんかじゃなくて、それ自体の言葉がうまれることもあるのかなぁ。素敵な時代で、生きる甲斐のあるな〜って思います。

ジャンジ:いままで見えなかったことを言う人がいて、そこに言葉が生まれるんですよね。

 

 

●1秒先の未来

ジャンジ:私は思春期には、未来があるとか全く考えられなくて、「死」というものに初めて向き合った時に、太陽が昇ってきて草が生えて生長する、そんな未来があるんだなとはじめて思ったの。今、一生懸命に生きている、1秒先がもう未来なんだな、と。タックさんとか伸二さんとかがやってることとか生き方って、今を生き切っているから、1秒先につながって、その先の未来があるんだなって感じます。この時代、先のことも分かんないし、自分だって明日どうなっているか分かんないしね。そんななかの未来に、やりたいことがあったら教えていただきたいんですけれど。

タ ッ ク:最近、僕はおちんちんが勃たなくなったの。そしたら最近すごく触られるってことに敏感になったの。「HUG たいそう」する時も、すごく触られることを意識しながらやった。おちんちんってすごく感じる器官だから、ものすごく強い。自分はセクシュアリティを大事にして生きてきたはずが、「もう終わりなのかな」って思った。そしたら、 触れるとか撫でるとかへの敏感さが増してきた。 おちんちんが元気な時は、 触ったり撫でたりすることが気持ちいいだなんて、あまり思ったことなかったの。 おちんちんの勢いが収まってくると、世の中がくら〜くなってきて、「あぁぁ、真っ暗になっちゃうのかな」って思ったら、あたりにボ〜っと光が見えてきた感じ。

前はセックスのことで頭がいっぱいだったけど、ノンバイナリーな今は、性器から解放されて、ちょっと先に期待ができる。触られるってことを中心に考えられる。マスターベーションをしなくなると、感覚が鋭敏になってきて嬉しいな〜って思っているのが、期待。

ジャンジ:へえ〜!すごーい!

伸  二:僕はとても悲観的なタイプなので、未来を暗く捉えています。結構悲しいというか、世の中がだんだん、経済が大事だとか、儲かるのが大事だとか、すごくせわしない、きつい世界になってきてるなって思います。友人の竹川宣彰がオオタファインアーツでやった展示が、足尾銅山を扱ったものだったんだけど、あの時代は、貧しい人とか労働者とかそういう人たちに皺寄せがあった時代。だけれど、だんだんだんだん負荷を見えないようにさえすればいいやって感じ。一見すると社会はすごく良くなってるんですけれど、いろんなことが見えにくくなっている。そのうちの1つの中に、ツケみたいなものを未来に回しているなってすごく感じます。未来は文句を言えないので。子ども相手の仕事をしているせいですが、この子の未来はどうなるんだろうとか、将来どうなるんだろう、って考えた時に、ゾッとすることがあるんですね。自分もすごく利己的なことも繰り返しているし、整合性が取れないんですけど。ただ、やっぱりこのままじゃいけないなっとは感じているし、みんなもなんとなくわかっているし、 じゃあなにをすべきかって、絵本の中でも取り上げてみたいなと思って『ダイアウルフとタイコたたき』の中にも書いてみました。だから、最初、エンディングはとても暗かったんです。タックに 「これはただ現実はこうだろって指し示しているものになる。せめてこの登場人物は幸福にしてあげなよ」って言われて。確かにアートの持っている役割って、現実をちゃんと見せるのも大事なんだけど、こういう考え方もあるよねとか、こんな未来も待っているんじゃないかとか、一筋の光とか展望みたいなものを示すべきなんじゃないかって言われて。それで、ちょっと取ってつけたようなラストになっているんですけれど、 「再生」みたいなものが書けたらなと思って。私たちがどこまで気づき、どこまで責任を持って未来に対して行動できるかが、今問われているんじゃないかな、って思って生きています。54 歳なんでね。そろそろ自分の肉体はもういいかな。

ジャンジ:えぇー、まだはやくないですかー。

タ ッ ク:ふふふふふ。

伸  二:あはは。

ジャンジ:私は、子どもを作りたいと思っていた時もあったけど結局自分の子どもを産んだり育てたりとかってことはなくって。でも、ワタリウム美術館で子どもの力をすごく感じたりとか、子どもと一緒に何かをすることの喜びをすごい感じた。その延長で「HUG たいそう」をやっていくって感じ。

書籍『HUG たいそう』の中にも「オッケー」とか「やだ」とか出てくるんですけれど、どうなっちゃうの〜って不安なこといっぱいあるけど、でもやっぱひとりひとりの気持ちが大事。まず自分にオッケーって言ってあげる、自分で自分をハグしてあげる、自分と違う人のこともオッケーって対話をする。ほんとの根本っていうか、そこが大事かなって思っていて。そういうものが本に込められたかなって思います。だからもっと「HUG たいそう」を広められたらなって思っています。海外版とかも出したいと思ってます。

タ ッ ク:すばらしい。

ジャンジ:みなさん、また「HUG たいそう」やりましょう!

今日は大塚隆史さんと末波伸二さんをお迎えしてお届けしました。みなさん、どうもありがとうございました。



<出演者プロフィール>
大塚隆史(おおつか・たかし):
造形作家。木・紙・金属・布など多素材を使って神話や占星術をモチーフにしたカラフルな作品を制作。著書に『二丁目からウロコ』(論創社・翔泳社)、『二人で生きる技術』(ポット出版)、訳書に『危険は承知/デレク・ジャーマンの遺言』(アップリンク・河出書房新社刊)がある。1982年から新宿三丁目でバー「タックスノット」を経営。

末浪伸二
多摩美術大学造形表現学部卒業。舞台を中心に創作活動を行い、在学中に手がけた『悪い女』で映像演劇学科長賞受賞。以降も社会的テーマに向き合う作品を発表し続ける。LGBTQ アーティストによる「レインボーNO NUKES展」に参加。脚本を担当した『東雲コントラスト』でTSUTAYAインディペンデント映像コンペティションにてグランプリ受賞。映像、ドキュメンタリー、絵本など多分野で活動している。

マダム ボンジュール・ジャンジ
Madame Bonjour JohnJ
ドラァグクイーン/パフォーマンスアーティスト
1990年から舞台に立ち、東京を中心にフランス、ベルリン、ストックホルムなど幅広く活躍。交歓のMix Party「ジューシィー!」(1995-)主宰、HIV陽性者やその周囲の人が書いた手記の朗読や歌によりメッセージを伝える「LivingTogether のど自慢」(2006-2025)の企画・出演など、違いを超えて出会う時空間を創出している。長年にわたりLGBTQ+やHIV陽性者が安心できる場づくりや個別相談、講演など多数行なう。認定カウンセラー。


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